こんにちは!
オムライスです。
「レッツチャレンジ!」の欄で「株式投資」チャレンジを書きました。
今回は株式投資をやっている最中での出来事です。
当時でも珍しいと思いますが私は26歳の時に結婚しました。
26歳で結婚した私の妻は元々は体が弱く体重も40キロを切るほど (160センチ)
小さい時にはいつも一番前で腰に手を当てる役で前ならえをしたことがなかったそうです。
また、中学時代には体重が軽い事もあり運動会の組体操の見せ場
「みんなでタワー」では一番上に乗る役だったそうです。
そんな妻と私の間には結婚してから6年間ほどは自然妊娠しなかったので
産婦人科に通い不妊治療(妻が)しておりました。
体外受精は嫌だったのでそこまでしないで不妊治療をやめました。
そして子供は諦めていました。
そんな中で突然 妻が妊娠したのです。
33歳の時でした。
産婦人科で不妊治療を受けていた時に医師から
あなたの体形と子宮内膜症の症状を考えると
自然分娩は多分出来ないだろうと医師から言われていました。
大きな病院でしか出産出来ないと言われました。
妻は「重度の子宮内膜症」でした。
妊娠できないのもそれが一番の原因でした。
子宮内に血が塊り、それが層となり、精子が着床出来ない環境での奇跡の妊娠となりました。
初めから帝王切開が前提での出産。
更に逆子、子宮に穴が空いており、慎重にしないといつ流れてもおかしくない状態でした。
安全に安全を期して新宿区にある総合大学病院での出産を決めました。
当時の主治医はとても権威のある先生でした。第一次阿部内閣の内閣参謀で、
日本産婦人科学会の理事長を務めており、国会に出ていたのを見てびっくりしました。
この方、非常に厳しい先生で妻は検診の度に「また厳しい事言われた!」と愚痴っておりました。
普通の産婦人科と違い、総合病院の場合には「普通分娩困難な方が数多く訪れます」
受診する段階で様々な「問診表」なるものがありました。(私は面倒くさいのでほぼ100%一切見ておりません)
嫁が言うには「今後の医療向上のための協力のお願い」があったそうです。
つまりは「医学としての妊娠調査」です。
簡単に言うと「研修医のために研究診察の許可」をお願いしたい。との事でした。
要は「研修医同伴での診察も可能にしてくださいね!」って事だったそうです。
毎回ではありませんでしたが、嫁が下着を脱ぎ恥ずかしい状態で足を開脚。
その時に研修医を数名同伴しての検診を実施されていたそうです。
妻が言うには「減るもんじゃねーから構わね-!おら!見ろ!」だそうでした。
それを聞かされた私は微妙でしたのを今でも覚えております。
普通の方の妊娠と違ったサンプルとして嫁は非常に大切にされました。
何しろ ①重度の子宮内膜症での妊娠 ②逆子 ③子宮内に穴があいている
大変珍しい妊娠事例だったようで
医者からしたらいい治験材料だったと思います。
ある日、出産を控えて入院した嫁から電話があり「ねー!今日さ、びっくり!まるで白い巨塔?先生を先頭にVの字で後ろに医師を10名位連れて私のベッドに検診に来た!」
との事でした。
うーーーん。
相当、珍しい、妊娠案件なんだなーと実感した出来事でありました。
新宿区にある大型の総合病院と言えば過去には様々な著名人が入院している病院であり
当時、私がお見舞いに行くたびに「有名人」に遭遇していました。
釣りバカ日誌のはまちゃんこと、西〇敏行さんも通院しており、
何度か目の前で見ました。
〇ARDのボーカルの方が同じ時期に入院しており
「落下?」して亡くなっていました。
その時はテレビ、ラジオやらで大ニュースとなっており多くのファンの方が献花をしに病院に押し寄せていました。
病院が大混乱していました。
今でも鮮明に覚えていますが、私がいつも駐車していました場所の目の前が
事故の場所であり、その高さは2メートル50センチ位でしょうか。
失礼かもしれませんがこの高さから転落して亡くなるのか?と率直に疑問に思いました。
病院の入り口右側にある階段の中2階からの落下したとの事でした。
献花が沢山あり今でもその光景は意識として視覚として残っています。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
話が脱線しましたが、その後、20名のチームが組織され
無事に出産が出来ました。
もちろん
切腹での出産です。
この話に関しては今でも色々言われる致命的なミスをわたくしは犯しております。
(その件は後述しますね。)
大学病院での出産にはお金が掛かりました。
それを補填してくれたのが「レッツチャレンジ!での株式投資での利益でした」
今日はここまでにしておきますね。
長くて書ききれません。
それでは!